わっぱの会が思い描く社会
わっぱんの生みの親
『わっぱの会』
1971年、名古屋市内の一角に小さな共同生活体を運営する『わっぱの会』が産声を上げました。
当時、障害ある人達は、「福祉」という名のもと、街から隔離され、人里離れた収容施設に暮らすことが当たり前の時代でした。それに抗して『わっぱの会』は、障害ある人もない人も地域の中で共に生きられる街こそが当たり前と考え、その拠点となる共に暮らす場、共に働く場をつくることにしたのです。
障害ある人1名、ない人2名、計3名の共同生活からの出発でした。
そして今、手づくり国産小麦パン「わっぱん」の製造をはじめ、有機循環型農業、資源リサイクル、配食サービス、地域交流拠点、クラフトビール醸造など、9つの共に働く事業を展開しています。
共に暮らす家「共同生活体」は、現在、名古屋市内と知多武豊町合わせて14カ所に増えました。障害ある人達の、生活援助や就労援助などを行う相談・居場所づくり・介助派遣などの事業を含めて、現在わっぱの会の会員として300名余りの仲間が共に働いています。
また、共に働き共に生きることを社会全体に広げるべく、政令都市初の車いす議員を地方議会へ送り出しました。
さらに、2001年のイタリア『社会的協同組合』との出会いから、障害だけではなく、生きにくさを抱えるあらゆる人達と共に助け合って生きる社会をめざそうと、生活に困窮している人達や社会的に孤立している人達の、生活や仕事の相談・住まいの居住支援にも取り組んでいます。
現代社会は、資本主義経済のもと、貧富の格差が拡大し、人と人との関係が希薄になりつつあります。そして、その結果、多くの人達が生きにくさや不安を感じて暮らしています。
わっぱの会は、差別や社会的排除をなくすと共に、地域が元気になり、多様な人々が共生できる社会づくりを目指しています。